慰廃園
「慰廃園」は好善社が英国MTL(現在のThe Leprosy Mission)の援助を受け、
明治27年(1894)10月13日、東京目黒村(現・東京都目黒区)に開園したハンセン病専門の私立病院です。
好善社発足当時はヤングマン女史の提唱した
「キリストの精神を社会的に実践する」という理念に基づき一般伝道と奉仕活動を行っていましたが、
明治24年(1891)一婦人ハンセン病患者との出会いが慰廃園開園の大きな契機となりました。
太平洋戦争が勃発すると、アメリカからの援助が途絶えたことで運営難に陥り、
ついに昭和17年8月5日(1942)慰廃園は閉園を余儀なくされました。
(運営48年間の収容患者数合計4,159名)
慰廃園の活動の歴史については「好善社100年の歩み」をご覧下さい。
開園当時の慰廃園
1894年 明治27年開園直後の慰廃園入所者と慰廃園監督大塚正心・かね夫妻(後列右) 前列右端は慰廃園開園のきっかけとなった津島八重さん
1895年 明治28年慰廃園入所者と好善社社員(後列右より島田彌十郎、大塚正心、篠原銀蔵、和田秀豊、藤原鉤次郎、大塚かね、守田智恵)
1897年 明治30年女子寮(静泉寮)
昭和初期男子寮(黎明寮)
昭和初期慰廃園鳥瞰(目黒消防署の火の見櫓から撮影。手前は現在の目黒通り)
昭和初期慰廃園裏門
昭和初期慰廃園入り口に設けられた訪問者用消毒洗面所
昭和初期診療所外観
昭和初期診療所での治療風景
昭和初期診療所併設の薬局
昭和初期談話室にて聖書の勉強
昭和初期慰廃園礼拝堂
昭和初期クリスマス礼拝
昭和初期春のお花見会で入所者による催し物(白波五人男)
昭和10年頃春のお花見会
昭和10年頃男子入所者による野球チーム(右端は大塚かね)
昭和初期慰廃園内の入所者共同墓地
慰廃園礼拝堂と好善社社員(左より塩谷ツネ、藤原鉤次郎、大塚かね、和田秀豊、後藤勝海)
1934年 昭和9年大塚かね(後列中央)と慰廃園女子職員
昭和12年頃園内の植樹作業
昭和初期大正天皇皇太后(貞明皇后)歌碑除幕式
昭和初期