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藤原偉作前理事長|公益社団法人 好善社

藤原偉作前理事長没後
20年記念会

2018年11月17日 於・日本基督教団新栄教会

故藤原偉作元理事長没後20年記念会が、2018年11月17日(土)午後2時より5時まで、日本基督教団新栄教会に於いて次の通り行われました。(敬称略)

総合司会 川﨑正明(理事)

<第1部> 記念礼拝

  • 奏楽 杉本ゆり(教会オルガニスト)
  • 聖書 新約聖書 エフェソの信徒への手紙 2:14~16
  • 説教 三吉信彦(代表理事) 「療養所の門をくぐって」

<第2部> 感話と写真と歌

【感話】
棟居 勇(前代表理事)
渡辺信夫(日本キリスト教団隠退教師)
氷上信廣(元キャンパー)
ユパー・ピナーター(タイ国チャンタミット社元事務局長)
阿部春代(理事)
藤田謹三(多磨全生園・秋津教会代表)
【写真】
藤原 寛(社員)「写真で見る故藤原偉作の歩み」
【讃美】
岸田順子(元キャンパー)歌と感話

<第3部> ブレーク・お茶で歓談

【出席者】38名
(社員17名、旧キャンパー8名、タイキャンパー2名、ゲスト11名)

故藤原偉作元理事長没後20年記念会に参加して

理事 川 﨑 正 明

この記念会に合わせて発行された社員たちの思いを綴った記念文集『藤原理事長と私』の末尾に記載された「故藤原偉作元理事長略歴」を読み、改めて藤原理事長の70年のご生涯を胸に刻みました。1998年11月5日のご命日から20年の歳月が経ち、私たちは藤原理事長との交流を思い出しながら、追悼の時を持ちました。

「療養所の門をくぐって」と題した三吉代表理事の説教に、社員一同は大きな共感を覚えました。「好善社はキャンパーを療養所の門まで連れてきたにすぎない。そこからはあなたがたがの選択に委ねられている」とは、今や伝説的な藤原理長の名言となっていますが、結果として私たちはハンセン病療養所の門をくぐって何をしたか、何をし得なかったかを考えたと思います。「今閉じられようとする『療養所の門』の前に佇んでいる自らを発見する」と言われた三吉代表理事の言葉が印象的でした。

記念会の第2部・感話では、棟居勇さん、渡辺信夫さん、氷上信廣さんに続き、タイ国チャンタミット社元事務局長のユパー・ピナーターさん、多磨全生園入所者で秋津教会代表の藤田謹三さんらの感話、また元キャンパー岸田順子さんの歌など、生前の藤原理事長への熱い思いが列席者に伝わりました。

さらに、藤原寛社員が藤原理事長の足跡をたどる在りし日の写真を編集して、若き日の素敵な姿と共に、使命を帯びて国内とタイ国へと活動する理事長の姿を紹介して下さいました。最後に、遺族代表として次女の藤原真実社員が、これまで封印されていた亡き父の最後の日々を語られ、列席者の涙を誘いました。

前述の記念文集に記された社員たちの言葉を思い出しています。「人と人の命をつなぐ人」「常に聖書を開き、祈る人」「好善社に巻き込んだ人」「尊敬するけったいな人」「仕掛け人」「藤原流の愛情」「私の人生を横切った人」「藤原さんに捕まった」・・・、藤原理事長との出会いの日々を思い出しながら、好善社にかかわる今後の活動への思いを新たにしました。

  • 三吉代表理事(礼拝説教)

    三吉代表理事(礼拝説教)

  • 棟居勇前代表理事の感話

    棟居勇前代表理事の感話

  • 記念会列席者

    記念会列席者

  • 藤田謹三さん(秋津教会代表)

    藤田謹三さん(秋津教会代表)

  • ユパーさん(タイ国)と阿部春代理事(左)

    ユパーさん(タイ国)と阿部春代理事(左)

  • 氷上信廣さん(元キャンパー)

    氷上信廣さん(元キャンパー)

  • 岸田順子さん(元キャンパー)

    岸田順子さん(元キャンパー)

  • 映像(藤原理事長の略歴と事業一覧)

    映像(藤原理事長の略歴と事業一覧)

  • 映像(若き日の藤原偉作)

    映像(若き日の藤原偉作)

タイ国との関わりを語る
藤原偉作(元理事長)

引用:広報紙「ある群像」No.50 1987年5月号
「今は恵みのとき-タイ国に関わって5年-」より

-冒頭部・途中省略-

タイ国に初めて足を踏み入れたのは1982年、なんの気負いがあったわけではない。どんな国なのか、できれば、ハンセン病の施設を見ることができたら、という気持ちで出かけた。ところが空港に降り立ってみると、厚生省官吏カンチャナ・コンスーブチャートという女医さんが私を待ちうけていた。彼女はクリスチャンであった。タイのキリスト者は人口の0.1パーセントに過ぎず、役所関係では稀な存在といわれているが、その中から一人のキリスト者婦人が備えられていたのである。以来、訪問の度毎に同姉が私を迎え、国中のハンセン病施設へと引き回してくれた。

訪問すればするほど、なぜか私はこの国に心がひかれた。しかし、片方では習慣、風俗、気候の相違はどうすることもできず、日常的には言葉が通じないという大きな壁にぶつかった。ホテルの中では英語を使えばよいが、一歩外へ出ればどうにもならない。台湾とは全く状況が異なるのであった。そんな経験をしながら、私はこんなことを考えた。たまにタイ国へやってきて、小手先で、何か援助めいたことをしたところで、なにになるだろうか。所詮はわれわれは日本人、彼等はタイ国人、どうがんばったって正しい意味で彼等の必要にこたえることはできない。登録患者数は4万5千(この国では、らい菌が陰性になれば、回復者として統計から除外されるが、回復者を含めると14万という)、年間の新発生患者数は4千という途方もない国情だ。差別・偏見・人権差別・・・こんな言葉がこの国で聞かれるのはいつのことだろうか。理想的には、タイ国人がタイ患者のために好善社のような「ミッション」を組織して活動することが望ましい。そうなれば、最も有効な関わりとなるのではないか。

日本の経済力は英国を遥かに凌駕した。しかし、凌駕し得ないものがある。英国ではハンセン病患者がいなくなって一世紀を経たが、ザ・レプロシー・ミッションは、年間予算十億円をかかげて、発展途上国に働き人を送り出して活動している。それを支えているのは英国のキリスト教界ではないか。この事実を、日本のキリスト教界は知っていただきたい。私は思う、過去において受けた神の恵みを、発展途上国へ向かってお返しをするときが今来ている。好善社はその場としてタイ国を選んだのである。